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コンサート等のイベントについてはCALENDARIOカレンダーのページをご覧ください。

 

 

楽器紹介では主に最近返却された楽器を紹介しています。 イタリアンチェンバロあるいはヴァージナル、スピネット、クラヴィコードの違いが分かるように写真に撮りました。 これらの違いについては、各楽器の項目もご覧ください。 また、すべて貸し出し用です。 ひと月当たりの額を示しています。 額の表示がないものは貸し出し済みです。

18歳以下の方は、ほとんどすべての楽器をこの表示額の半額で1年間ご使用いただけます。 どうぞお問い合わせください。

 

 一部、鍵盤楽器以外もここに載せます。 

 

 

楽器紹介

バロックギター

ルネサンスギター

Trasuntino C-c3   415-440  試作品

スタンドは別のものとなります。

 

以下は一部貸し出し済みです。

Clavichord type II + Baroque pedalboard III 

 

イタリアンヴァージナル                                9月

ロンドンのVictoria and Albert Museumにある'Queen Elizabeth's Virginal', Giovanni Baffo, 1594を元に作ったもの。 C~c3 

 

415 - 440 - 466Hzシフト可

 

バロックペダルボードIII                          9月

練習用べダルボードです。 小さな音が出ます。 クラヴィコード等と組み合わせて使用します。 クラヴィコードを載せるための専用台、並びに専用ベンチあり。

ポータブルヴァージナル         9月

専用ケース付き

C~c3  ジャックにウエイトを付け戻りを良くしました。

本体 10㎏

 

Flemish harpsichord                                     3月

GG - d3   8' + 4'  プラスチックジャック使用

 

Quint pitch spinet                                          2月

南アフリカのケープタウンの初代駅舎が1900年ごろに取り壊しになった時の駅舎の梁がケースに使われています。 なお、このような小型のものは英語圏でもスピネットという言い方をするようです。 キャリングケース附属 

a=415の5度上に調律されています。

本体重量:9kg

 

11月 

Selway Robson作 Chamber organ.

8' 閉管 4’ 中央のドより上のみ

すべて木管

人力による送風

本体とふいご部分に分かれます。

 

ポータブルヴァージナル                     10月

C.D ~ c3           a=415/440

10㎏(スタンド含まず)キャリングケース付属

 

Grimaldi   (2.4m)                    6月

GG,AA~d3

414-440  (440の時は最高音のd無し)

響板、側板、底板等総ヒノキ

 

練習用足鍵盤             5月

クラヴィコードの原理により小さな音を出します。 5本の弦で2オクターブと少しを担当します。 クラヴィコードと合わせて使うための専用台と椅子があります。

クラヴィコードの付属品として貸し出ししています。(無料)

セルビアのヴァイオリンの先生ミラン・チズミッチがカタリーナ・コヴァッチさんとともにヴァイオリン入門用テキスト"PLAY and FANTASIZE"を作りました。 拙宅に一部於いておきますので、どうぞご覧ください。 氏は私がセルビアを2011年に訪れたときはスレムスカ・ミトロヴィツァSremska Mitrovicaの音楽学校Muzička škola "Petar Krančević"でヴァイオリンを教えていました。 そのレッスン風景は驚くべきものでした。 まず、足で床を大きな音で叩いて、拍を示し、左手でピアノ伴奏をしていました。 これは大迫力でした。 そして右手でボーイングを直しながら、大声でいろいろと指示をしていました。 ヨーロッパでは拍から入ると聞いたことがありますが、本当に拍を叩き込まれていました。 この男の子は大音量に圧倒されることもなく、楽しそうでした。
この音楽学校の窓からは教会が見えます。 
Sremska Mitrovicaはローマ帝国の遺跡Sirmiumの上にある、静かできれいな街です。

カタリーナ・コヴァッチさん(Katarina Kovač)

ミラン・チズミッチさん (Milan Cizmic)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペダルボード         11月

 オルガン練習用の足鍵盤です。

5本の弦が各キーの下に張ってあり、各キーの下に付けられたタンジェントが弦を押し下げ、小さな音を出します。 この5本の弦が2オクターブを担当します。 

下の写真はべダルボード+スタンド+クラヴィコード+ベンチを組み合わせたところです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月 イタリアンチェンバロ

 

Vincenzius Pratensisとネームボードに書かれている。(もともとは17世紀イタリアで製作したものと思われる。)

私がBritish Clavichord Societyの会員だった2006年にイギリスの個人所有者から譲り受けたもの。 ただ、この楽器は響板と鍵盤は20世紀にイギリスで付加されたものだった。 外箱もイギリス製である。 ジャックは木で出来ていたが、真鍮の太いエンドピンを持つ重いものだった。 そこで宮城県の木村雅雄氏に再修復をお願いし、ジャックとジャックガイドがすべて作り直されよりヒストリカルな状態になった。 プレくトラムはすべて鳥の羽が用いられている。 3月にカタリーナ・ビセンスさんがいらした時は、大変気に入って下さり、コンサートで使用することとなった。

 

 

 

7月 福島天井板チェンバロ

ここをクリック頂くと、古民家の天井板がチェンバロになるまでの製作工程をご覧いただけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月 Portable virginal I

この楽器は88鍵用キーボードケースに合わせて設計されました。 (本体約10㎏  全長140cm)

C,D~c3      415/440どちらかに固定して使用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当工房紹介

 当工房では音楽をより身近なものにしようと、小型の鍵盤楽器、クラヴィコードを主に製作しています。 また、若い方にアンサンブルの機会を設けています。 特にラテン語、イタリア語、フランス語による歌とのアンサンブルは毎回取り上げています。 カレンダーのページにオーケストラ練習日がございます。 

「オルガンの散歩」等のコンサートを年に数回設けています。 写真は通底用大型イタリアンチェンバロです。 リュリ等のオペラを大人数で弾くときの通底に使用します。  (Grimaldi   GG,AA~d3)

なお、楽器は練習用に一か月単位で安価に貸出しています。 

18歳以下の方は「未来のクラヴィコード委員会」もご覧ください。

 

 

 

終了した演奏会 レポート

 

 

 

 

 

アルベルト・ミュールベック氏

 

 

 201756日 於 松本記念音楽迎賓館 

 

 

 

ピアノとクラヴィコードによコンサート

 

 

  一つのコンサートの中で、ピアノとクラヴィコードを用いてバッハとその息子の音楽を比較しようという試みであった。 ひと昔前であれば、ピアノを弾いた後ではクラヴィコードは聞こえない、と考える人がいたかもしれない。 会場の規模が程よかったためもあるのだが、ピアノの後で弾かれたクラヴィコードの音楽はインパクトがあり聴衆を驚かせた。 また、C.P.E. バッハが新たな時代を切り開いたことが鮮明になった。 演奏後、質問時間を設けたが、質問される方が多かった。 英語での質問が多かったが、中にはフランス語で質問した方もいらした。 この時の質問事項を中心に氏の考えをまとめてみたい。

 

 最初の質問は、なぜJ.S.バッハがモダンピアノで演奏され、C.P.Eバッハがクラヴィコードなのか、というものであった。 ミュールベック氏は次の様に説明した。 「J.S.バッハの鍵盤音楽は楽器にあまり依存しないものが多い。 つまり、モダンピアノでもJ.S.バッハの音楽を表現することができる。 ところが、C.P.Eバッハの鍵盤音楽はクラヴィコードに特化したものが多く、クラヴィコードによってのみ表現可能なところがある。」

 また、クラヴィコードとはいつ出会ったか、との質問に次の様な答えだった。 「アメリカのthe College Conservatory for Music in Cincinnati にてピアノを勉強しているときにある教室の片隅に、いろいろなものの下敷きになっている細長い木の箱のようなものを見つけた。 引っ張り出してみるとクラヴィコードだった。 それがはじめてのクラヴィコードとの出会いだ。 教官に聞いてみると、だれも弾かないから家に持って帰ってよいと言われ、さっそく持って帰った。 調律して弾いてみると、すぐにこれはピアノ演奏に役に立つと思った。 それがRecovering the Clavichord for the Modern Pianistという博士論文を書き、また、ピアノとクラヴィコードで演奏するきっかけとなった。」

 

 また、ピアノで弾いた平均律クラヴィーアから弾いた4曲のPrelude and Fugueの間に、次の曲に移行するための間奏(interlude,intermezzo)が奏された。 これは氏の創作だがインプロヴィゼーションではなく、用意したものだそうだ。 この様にinterludeを置く事ついては当時一般的だったと考えられているそうだ。 特に、比較的小規模の曲を何曲も弾く場合、組曲を弾く場合等に何らかの創作を挟むことが行われていたと思う、との事だった。 (注1)

 

 また、フレッテッドクラヴィコードでC.P.Eバッハを弾く事に無理がないか尋ねると、「当時のひとは今よりずっとpragmaticであった。 つまり、1キーあるいは2キー足りないために、隣町から大きなクラヴィコードを運ぶことは無かっただろう。 それは、クラヴィコードに限らない。 教会のオルガンと歌と合わせるときに教会のオルガンのピッチが高すぎれば(これはよくあることがだ)オルガンを移調して弾くか、あるいは歌手が音の高いところを変更するしかない。 あるいはオーボエパートが、楽器が良くないか、あるいは奏者の力量が不十分で、うまく弾けなければその部分の音楽を直すしかない。 そのために、隣町からうまいオーボエ奏者を呼んでくることは、当時は難しかっただろう。 このようなことをcompromise(妥協)と言えなくもないが、手段を変更してでも目的を達成しようとすることだからpragmaticの方がよい。」 「実際、私はC.P.E. Bach Sonate A  Dur Wq. 55/4を弾いたが、第二楽章がFis-Durになる。 そこで、このフレッテッドクラヴィコードで弾きやすいように曲全体をB-flat majorに変更して弾いた。」

 

 以前伺った話を少し補足すると、氏によれば、最近はチェンバロで研究したことがピアノに生かされているそうである。 一つはdétachéで弾く事だそうだ。 détachédétacher(離す)の過去分詞であり形容詞として用いられる。 フランス語―イタリア語の辞書を引くと、détaché = staccatoとなっている。 つまりどちらも分離した、と言う意味だ。 主にフランスのチェンバロ奏法を研究する過程で取り入れられたものだからdétachéが用いられているだけかもしれない。 さて、16分音符もdétachéで、つまり、わずかに音と音の間に隙間を設けるのだが、その隙間加減をコントロールするだけでフレーズ感が出る。 わずかに隙間があると、ちょうどすべてが子音で始まる音で話しているようである。   

 

 氏はピアニストであり、チェンバロは弾かない。 しかし、バロック音楽やいわゆる通奏低音はよくご存じだ。 前回、1月に来日演奏されたときに、C.P.Eバッハを弾いている時に右手等で和音を付け加えていた。 これに気が付いた方が、質問すると、「C.P.Eバッハの時代まではまだ通奏低音の時代だ。 だから、この楽譜の通りに演奏することはそもそも期待されていない。」との回答だった。 また、J.S.バッハの平均律を弾きながら、ここから、まったくリュリの付点付きOuvertureとして弾きましょう。 等々、明確であった。

 

 

 注1  これについてはイタリアのマニャーノで2015年に開催されたInternational Clavichord Symposiumに関連した De Clavicordio XI CHRISTOPHER HOGWOOD の記事'The Practice of Preluding'が載っている。

 

Johann Sebastian Bach --- Carl Phillip Emanuel Bach

One Familiy ---- Two Eras

One Keyboard ---- Two Instruments

 

Albert Mühlböck Piano and Clavicord recital

Matsumoto Memorial Music Guest House

May 6, 2017

 

Program

J.S. Bach

        Prelude and Fugue from the „Well tempered Clavier I“

      B flat – major (BWV 866)

      E - minor (BWV 855)

      F – minor (BWV 857)

      D – major (BWV 850)

   

  Italian Concerto (BWV 971)

       I. [without tempo designation]

              II. Andante

              III. Presto

Intermission

 

C.P.E. Bach  

        Fantasie A Major Wq. 58/7

   

  Sonate d minor, Wq. 63/2

       I. Allegro con spirito

              II. Adagio sostenuto

              III. Presto

   

        Sonate A. Dur Wq. 55/4

       I. Allegro assai

              II. Poco adagio

              III. Allegro   

   

Farewell from my beloved Silbermann Clavier, Wq. 66

 

なお、氏の演奏はYOUTUBEチャネル名;"Una Passeggiata d'Organo" または「オルガンの散歩」でご検索下さい。 最新のところアルベルト・ミュールベック氏のクラヴィコードとピアノ、その次にカタリーナ・ビセンス氏の16世紀イタリアのチェンバロ音楽があります。

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイオリンの歴史(對馬佳祐)

現存するヴァイオリンと認められる最古のものは16世紀後半のものであるが、それ以前にも絵画の中でヴァイオリンを弾く天使の描写等がヨーロッパ各地で見受けられ、実際にヴァイオリンが誕生したのは16世紀初頭であると考えられている。
残念ながら、そのヴァイオリン誕生の経緯は未だはっきりしておらず、初期ヴァイオリンの歴史は最も困難な研究課題として知られている。北イタリアが発祥という説と、ポーランドが発祥という説があるが、いずれにしても、1492年にユダヤ人がスペインから追放された際に、それらの地にヴァイオリンの原型となるものが伝わったと考えられる。時期がヴァイオリンの出現と重なることと、ヴァイオリンがユダヤ人にとって非常に大切な楽器であり、17世紀以降も移動の際には常に彼らがヴァイオリンを携えていたことが、その主な理由であるが、決定的な証拠に欠けるため憶測の域を出ていない。
なお、現存する範囲において、ヴァイオリンはほとんど現代と変わらない完成された形で世に登場したことを強調しておきたい。19世紀にネックの角度、指板の長さといった小さな改良を経てはいるものの、ピアノや他の楽器のような、大きな改良が絶えず重ねられてきた楽器とはその点が異なっている。現代においても、300年以上前に作られたストラディヴァリ一族やグァルネリ一族のヴァイオリンが最高のものとみなされているのが何よりの証拠であろう。
ヴァイオリン音楽の発展
今日一般的に演奏されるヴァイオリンのレパートリーは、17世紀後半にイタリアで幕を開ける。それ以前にもヴァイオリンは存在したが、舞踏の伴奏などで庶民に用いられる事が多かった。芸術音楽としては、リュートやヴィオールが主流の時代において、ヴァイオリンの音は華美で大げさなものとして敬遠されていたのである。
18世紀から19世紀は、イタリア・ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾの百花繚乱時代である。コレルリのソナタ集(1700)を筆頭に、ヴィヴァルディ、ヴェラチーニ、ジェミニアーニ、タルティーニ、ロカテルリといった多くの名手たちが作品を残している。また、合奏協奏曲の花形としてヴァイオリンの地位が確立されたのも彼らの功績であり、ドイツのバッハやヘンデル、テレマンにも影響を与えた。
以降、20世紀に至るまでヴァイオリンは管弦楽や室内楽において、また独奏楽器として最も重要な役割を常に担い続けてきたが、その背景には技術的にヴァイオリンの持ちうる可能性を大きく広げた奏者たちが存在した。近代ヴァイオリン奏法の基礎を築き上げベートーヴェンにも影響を与えたジョヴァンニ・バティスタ・ヴィオッティ、19世紀初頭にかつてない超絶技巧のパイオニアとして一世を風靡したニコロ・パガニーニ、ドイツの名手でありヴァイオリンに今日一般的である顎あてを導入したルイス・シュポア、サン=サーンスやラロといった作曲家たちがこぞって作品を献呈したスペインの名手パブロ・デ・サラサーテ、ブラームスがヴァイオリン作品を書く際に協力関係にありドヴォルザークやブルッフか
らも作品の献呈を受けているヨーゼフ・ヨアヒムといった名ヴァイオリニスト達の存在を抜きにして、ヴァイオリン音楽の発展は考えられない。
 
 
古楽器演奏家の視点から~覚え書き~(永野光太郎)
ヴェラチーニ (1690-1768) フィレンツェ
 
 ヴェラチーニの「ソナタ・アカデミケ」の序文に、「4つか、5つの楽章を持つソナタであるが、その中から23つの楽章を選んで演奏しても、十分にソナタとして満足する事が出来る」と書かれている。現代の感覚からすると奇妙な注意書きに見えるが、当時の演奏習慣では、全ての楽章を続けて弾くことが大前提ではなかったのだ。例えば、ジローラモ・フレスコバルディが1615-1616年に発表したトッカータ集の序文にも、同じような内容の事が書かれている。各楽章に完璧な関連性を求め、全ての楽章を続けて弾くという習慣は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの時代までなかった。しかし言い換えれば、ヴェラチーニ作品の演奏は「楽章ごとに"完成された芸術"であるべきだ」とも言える。
ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの「音楽辞典(1732)」に、ヴェラチー二の簡単な経歴が載っている。しかしフランチェスコよりも、叔父アントニオ・ヴェラチーニの解説の方が分量が多く、当時は叔父の方が有名であったと推定出来る。また、ヴァルター・クリューガーの「バッハと時代精神」の論文(1951-1952)の中で、ヴェラチーニの「メッサ・ディ・ヴォーチェ」についての記述がある。メッサ・ディ・ヴォーチェとは、個々の音符内で強弱を変化させることであり、一音の中で、弱くから始まり、だんだん強くなり、また弱まっていくというものである。バロックヴァイオリンでメッサ・ディ・ヴォーチェを行うことは簡単である。なぜなら、当時の弓を使うと、弓を動かしただけで音量に変化がついてしまうので、無意識にメッサ・ディ・ヴォーチェが弾けてしまうのだ。しかし、現代の弓には音量を均一にするための工夫が為されてしまっているため、あえて自分で意識をしないとメッサ・ディ・ヴォーチェが行えないのだ。しかし、その事を知らない現代のヴァイオリン奏者達のあいだでは、音の途中に変化が あると「音の中膨らみ」と注意され、バロック音楽には適さない奏法、悪い癖、と言われているのだそうだ。本当に?!
 バロックヴァイオリン奏者であるアンドルー・マンゼの本に、ヴェラチーニがどのようにヴァイオリンを構えていたかを今に伝える肖像画が紹介されている。それによれと、ヴェラチーニは鎖骨の上にヴァイオリンを置いて演奏していたようだ。私がそれを真似して構えてみたのだが、非常に不安定で左手が疲れる。本当にこのように弾いていたのだろうか?数多くあるフランツ・リストの肖像画に、リストが鍵盤を見ているものが一枚もないのと同様に、演奏イメージを伝える為の作られたポーズであったと考えられないだろうか?
 このSonata Terzaはヨハン・ヤーコプ・フローベルガーの組曲を手本にしているように見える。例えば、半音階による感情表現や、転調の手法に類似点がみられる。フェルディナンド三世を偲んだ「太陽と雲」は、ヴェラチーニの感性によって雨粒のような涙へと変わったのである!
1曲目は前奏曲と書かれている。
2曲目はアルマンドであるが、フランス風のアルマンドである。シャンボニエール、ダングルベール、或いはデュパールのアルマンドに近い。
3曲目はラルゴであり、ヴィヴァルディやデュフリの「三美神」ような、崇高で澄んだ表現をしている。
4曲はロンドと書かれているが、内容は極めてタンブランに近い。
 
 
 
タルティーニ (1692-1770) ピラン、スロベニア
 
 フリードリヒ・ウィルヘルム・マールプルクの「Legende einiger Musikheiligen」では、トップページにタルティーニを讃えており、「タルティーニは名高く、いくつものソナタとコンチェルトを書いた」と紹介されている。マールプルクはタルティーニの楽譜「Art of Violin Bowing」をオークションで買ったとも書いてあった。しかし、ヴァルターの「音楽辞典」では言葉少ない記述しか見当たらない。この音楽辞典が書かれた頃のタルティーニへの評価は、ヨーロッパ全土で非常に高かったはずであるのに。。。とても意外な印象を受けた。もしかしたら、ヴァルター自身がタルティーニをあまり評価していなかったのかもしれない。
 タルティーニについて、いくつかの考察を述べたい。ロバート・ドニントンの「The Interpretation of Early Music1979」に、タルティーニが考えたアーティキュレーション法についての記載(1760)があり、アルカンジェロ・コレルリのD dur ソナタの16分音符は、一音一音の合間に休符が入るように演奏すべきだと書かれている。またドニントンの同著に、ジャン・バティスト・カルティエがタルティーニの作品を大幅に装飾した譜例(1792)が載っていて、当時の装飾法を理解するための有益な情報となっている。タルティーニは「楽器を巧く弾くには、巧く歌えなければならない」と言ったそうで、現代の音楽教育にも通じる考えを持っていたようだ。タルティーニの理論と音楽は後世の作曲家に多くの影響を与えたのだ。ところで、通奏低音とは「低音部の旋律のみが示され、奏者はそれに適切な和音を付けて演奏 する」ことであるが、タルティーニの通奏低音の和音は、簡素なものが求められたようだ。例えば、このソナタの第2楽章フーガに、通奏低音の和音が付いていたら、フーガを不鮮明にしてしまうだろう。
1楽章はグラーヴェと書かれている。グラーヴェの意味はクヴァンツの「フルート奏法試論」に詳しく説明がなされていて、"少し堂々と、生き生きと、付点のところまで音を強くしていく。後続の音は先行の長い音とスラーをつけて短く柔らかく"と書いてある。グラーヴェだからといって、重々しく弾けばよい訳ではないのだ。
2楽章はヴァイオリンの重音奏法を使ったフーガである。
3楽章はアレグロ・アッサイで、重音がカリヨンのように鳴り響くとてもユニークな楽章だ。
 
 
 
ジェミニアーニ (1687-1762) ルッカ
 
 ジェミニアーニは教本を多数出版していて、私は「ヴァイオリン奏法」、「伴奏の技法」の2種類のファクシミリを所有している。特に「ヴァイオリン奏法」はレオポルド・モーツァルトの「ヴァイオリン奏法」と並ぶ名著として知られている。ジェミニアーニの奏法を知るためには欠かせない本である事は言うまでもなく、当時のヴァイオリン奏法を知る上でも貴重な資料となっている。特にClose Shakeの記述は興味深い。なぜならClose Shakeとは、ゆっくりと均一に手首を動かして出来るだけ頻繁に使うこと、つまり、現代のヴィブラートがバロック時代に行われていたという貴重な証拠であるからだ。一般的に、古楽器奏法の基礎のように言われている「ヴァイオリンのヴィブラートはバロック時代には存在しなかった」というのは完全な誤りであることが分かる。しかし、一つ付け加えておきたいのは、ヴィブラートを使うのはソロか小編成の室内楽の時であって、オーケストラでヴァイオリンを弾く際は、ヴィブラートを使うことはなかったようだ。他に「ヴァイオリン奏法」で印象的だった事を挙げると、下げ弓を「良いストローク」、上げ弓を「悪いストローク」と呼んだことや、「アダージョとアンダンテ」の項目で、アーティキュレーシ ョンによって「良い」か「悪い」かがはっきり述べられている事だ。この事によって、ジェミニアーニの音楽趣味がはっきりと見えてくる。例えば、平坦すぎるアーティキュレーションや、ごちゃごちゃに組合せたアーティキュレーションは「悪い」と考えていたようだ。「伴奏の技法」では、さらに細かいジェミニアーニの音楽趣味が分かる。概して言えることは、多くの装飾音やディヴィジョンを使用する事を推奨していて、かなり分厚い伴奏を求めていたということである。時には左手で派手なディヴィジョンを行うことも躊躇しなかったようだ。
 但し、当時のジェミニアーニへの評価はそれほど高いものではなかったようだ。現代の私から見る限り、ジェミニアーニは最先端の音楽を作る作曲家であった。楽譜から見えてくるジェミニアーニの印象は、シュターミッツやモーツァルトに通じるようなマンハイム楽派の過激さを持ち合わせている。
1楽章はアンダンテである。コレルリやタルティーニのソナタの流れを受け継いでいるが、何故かアイルランドの民謡が聞こえてくる!
2楽章はアレグロだ。とてもイタリア的でコレンテに近い曲調である。
3楽章は和音だけで出来た短い楽章で、即興的な導入と考えてよいだろう。ヘンデルが影響を受けて、このような楽章を多く作曲している。
4楽章はアレグロで、メヌエットのスタイルで書かれている。メヌエットにしては若干小節数が多いのだが、イ短調の第2メヌエットに相当する部分も存在する。

 

 

 

’Il Cembalo de Partenope’

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナポリのチェンバロ」と題されたCD発売記念コンサートは驚きの内容だった。 15,16世紀の音楽を勉強して、今、ようやく16世紀の音楽にたどり着きましたというカタリーナ・ビセンス氏。 鍵盤曲だが、もと歌のある曲を選び、歌いながら弾いている様に見えた。 

 右手と左手で全く独立したフレーズ感で弾いている。 例えば、右手は歌とそのディミニューション、左手はギターのアルペジオ伴奏の様に聞こえ、2人の合奏の様であった。

 また、ヴァイオリニストやギタリストが楽器の可能性を探るように、ショートオクターブのイタリアンチェンバロやヴァージナルをいろりろなタッチで弾いた。 しばらく聞いていると違う音が聞こえてくる。 

 

 イタリアンチェンバロ (もともとは17世紀イタリアで製作?)はイギリスの個人所有者から譲り受けたものである。 ただ、この楽器は響板と鍵盤は20世紀にイギリスで付加されたものであり、また、ジャックは半ばモダンジャックを用いて修復されていた。 そこで宮城県の木村雅雄氏に再修復をお願いし、ジャックとジャックガイドがすべて作り直されよりヒストリカルな状態になった。 ビセンス氏はこの小型の楽器を、ナポリのチェンバロに近い、と大変気に入って下さり今回使用することとなった。 

 

また、ヴァージナルはGiovanni Baffo1594に作ったと考えられているQueen Elizabeth Virginal(Victoria and Albert museum所蔵)を基に作られた。

 

「....y fue muy muy lindo tocar los instrumentos de tu taller!

そして、あなたの工房の楽器を弾けてとてもとてもすてきでした。」

修復後10年を経てやっと日の目を見たイタリアンチェンバロ、それにヴァージナル。 つかの間のスポットライトが当たった当工房だが、また10年の眠りに入るのだろうか?

 

 

なお、右にある大きなイタリアン(Grimaldiモデル)は使用しなかった。

会場は八王子ホテルニューグランドのビクトリアチャペル (東京都八王子市)   

 

   ギリシャが680BCに最初に作った最初の都市はPizzoFalconeの丘にあった。 この都市はPartenopeと呼ばれた。 そして、このPartenopeの少し西に新たな都市を作った。 現代のNapoli (Neapolis)はPartenopeに対して新し都市と言う意味だそうである。 ナポリは位置的にも地中海交易上重要であり、また、天然の良港であったため、常に外部からの侵略にさらされていた。 ナポリは1494年以降フランス・ヴァロワ朝のシャルル8世の支配下にあったが、カスティーリャ=アラゴン連合王国は1503年にナポリを征服し、同王国の属州となった。 一言で言えば、ビセンス氏が注目したナポリの16世紀はフランスの支配からスペインの支配と変わった世紀であった。 氏が取り上げたカステロ・アルクアートの写本にも多くのフランス語のタイトルが付いた曲が収められている。

    16 marzo 2017 Una Passeggiata d'Organo n.48 

Il Cimbalo di Partenope

Musica a Napoli e Ferrara nel Cinquecento      

 

ナポリのチェンバロ

1500年台のナポリとフェッラーラの音楽

 

Catalina Vicens, harpsichord and Virginal  

カタリーナ・ビセンス チェンバロとヴァージナル

 

                                                                                                                                                corrected on 20 March 2017

 Antonio Valente (attivo tra 1540-1580)    Fantasia   (A. Valente, Intavolatura de cimbalo, 1576)

                                                                                            

 

Marchetto Cara (ca.1465-1525)                  Per dolor mi bagno il viso (Andrea Antico, Frottole Intabulate, 1517)

Jacobo Fogliano (1468-1548)                    Ricerchare de Jacobo fogliano (MS Castell’Arquato)

Marchetto Cara                                                   Cantai mentre nel core (Andrea Antico, Frottole Intabulate, 1517)

Joan Abrozio Dalza (attivo nel 1508)        Pavana alla ferrarese (J.A. Dalza, Intabulatura de lauto, 1508)

 

 

M. Antonio Cavazzoni (ca.1490-ca.1560)        Recercada di mã ca in bologna (MS Castell’Arquato)

                                                                                             Plus ne regres (M.A. Cavazzoni, Libro Primo, 1523)

 

Bartolomeo Tromboncino (1470-1534)   Stavasi amor

                                                                                             Che farala che dirala

 (Andrea Antico, Frottole Intabulate, 1517)

 

Claudio Veggio? (ca. 1510- doppo 1543)                   Vi (Villano) recercada (MS Castell’Arquato)                                                 

M. Antonio Cavazzoni                                                     Madame vous aves mon cuor (M.A. Cavazzoni, Libro Primo, 1523)

 

Claudio Veggio                                                                Recercada per b quadro del primo tono

/Claudin de Sermisy (ca 1490-1562)        Tant que vivray

                                                                                             (MS Castell’Arquato)                

Fabrizio Dentice (ca.1510-1581)                                  Volta da Spagna                                                              

 

Joan Abrozio Dalza                                       Calata alla Spagnola

/Bartolomeo Tromboncino                          Poi che volse la mia stella

(J.A. Dalza, Intabulatura de lauto, 1508)

 

Luys Milán (ca. 1500-ca.1560)                                     Fantasia (El maestro, 1536)

 

Antonio Cabezón (1510-1566)                   Obra sobre cantus firmus

 

Antonio Valente                                                                Sortemplus disminuita

                                                                                             Gagliarda Napolitana

                                                                                             (A. Valente, Intavolatura de cimbalo, 1576)

 

 

 

22:00 19 3 2017

Interview to Catalina Vicens

 

I (Akihiko Yamanobe) interviewed Catalina Vicens who is visiting Japan for giving several concerts and a master class. She is also going to attend the 20th IMS Congress (Congress of the International Musicological Society) in Tokyo with her professor Dinko Fabris (President of the IMS).

 

 

Y; I heard that you are born in Santiago di Chile.

You started to learn music in your childhood.

V(Catalina Vicens); I asked my mother to learn the piano and I started to learn it at the age of 7 in Suzuki method. My mother is an opera singer until I was 5 years old. When I was 13 years old, I continued to learn the piano in a conservatory.  There I met a very nice teacher who knew that I like Baroque music and push me to have an audition for the harpsichord class of The Curtis Institute of Music, Philadelphia in the United States.

 At the age of 18, I started to study piano and harpsichord in Philadelphia. I studied piano for two years, harpsichord for four years. In the harpsichord class I needed to prepare two sonatas of Domenico Scarlatti for each lesson. I learned Scarlatti, J.S. Bach, F. Couperin, and Rameau. I learned also contemporary music on the piano.

  After that I started to learn harpsichord with Robert Hill in Musikhochschule Freiburg.  There I learned J.S. Bach, virginal books on virginals, sons of J.S.Bach on clavichord and the sons of J.S. Bach and Haydn on fortepiano.  I learned also contemporary music.

  In 2007 I study with Andrea Marcon only 17th century music. I learned music of  Claudio Merulo and Frescobaldi for one year.

  During the time I studied with Andrea Marcon, I started to join the Medieval music theory classes of Schola Cantorum Basiliensis for one year. And I taught myself the organetto. In 2008 I started to learn medieval harpsichord with the professor Corina Martini as a student of a master’s course. I learned only 14th and 15th music.    (Corina Martini is a professor of recorders and clavicymbalum)

  From 2010 I started to learn contemporary music in the Musik Akademie Basel for 3 years.

  From 2014 I am learning 16th century Itaian keyboard music in PhD degree at the Leiden University, The Netherlands.

 

Y; Thank you so much. It sounds fantastic that you learned 14th and 15th century music first, and after that now you are learning 16th century music.

By the way could I ask what attract you in the 14th and 15th century music?  And also the contemporary music if I may ask?

V;What attracted me of medieval music was first its directness. Then I discovered that behind a “simple” surface, there is much richness and diversity. Now I specially enjoy the expressiveness, rhythm, Pythagorean tuning and freedom.

What I like from contemporary music is that it transports me always to a different “state of mind”.

 

Y; By the way have you played many of original instruments?

V; Yes, I played 60 original keyboard instruments from Renaissance and Baroque. And I also give concerts on 20 original instruments in these 10 years.

Each of those instrumnets is like a teacher – and one of my best teachers was the Renaissance Neapolitan instrument (c.1525). I was able to record in South Dakota (USA). I spent many days practicing on that instrument, which is the oldest playable harpsichord, so that I could then record my last CD “Il Cembalo di Partenope”, with music from 16th century Italy.

 

Y; About the program of the concert yesterday titled ‘Il Cembalo di Partenope’, you told me that all pieces have its origin as a song. But was it hard for you to find their original songs?

V; No, I had studied 14th and 15th music for many years, so I knew the original songs in most cases.

Y; While you are performing, I felt that you are saying or singing.

V; Yes, I was.

Y; Could I ask your activities from now on?

I will give many concerts in the Europe and United States.

In April, I will give cocerts in Austria,Spain,USA,

in May, Holland, USA again, France

in June, Germany, Czech Rep.  etc. etc.

Y; Thank you. I wish you will make up a great job. 

 

 

 

 

 

Atelier Recital 1

 

  クラヴィコードリサイタル プログラムノート

201725() 14時から

 ~忘れられた16世紀音楽を探る~

clavicorde~clavicordo~clavicordio永野光太郎

 

 

 

 

               プログラムノート  永野光太郎


Heinrich Finck(1444 or 1445~1527) :
ich wird erlost
ハインリヒ フィンク
作品の出典はチューリヒのオルガンタブラチュア。Heinrich Finck1504年までポーランド(恐らくワルシャワ)のカペルマイスターであった。Waltherの音楽辞典(1732年、ライプツィヒ)によると、大甥にあたるHermannus Finckius1501年に同じポーランドのカペルマイスターに就任したと記されているため、4年の期間は二人が同時にカペルマイスターの地位にいたということが分かる。Heinrichが何らかの事情で仕事をこなすのが困難になったため、Hermannusを連立カペルマイスターに任命したのか、或いは、Hermannusの修行期間であったか、、、詳細は不明である。Hermannusは大成し、彼の著書Practica Musica 155616世紀の名著となった。

Giacomo Fogliano (1468~1548)  :
Ricercare in Sol
ジャコモ フォリアーノ
モデナで活躍した作曲家であった。Lodovico Foglianoの兄弟である。このリチェルカーレの出典はカステッラルクアートのタブラチュア筆写譜。16世紀のリチェルカーレは厳格な対位法作品ではないので、作曲家の自由な発想が盛り込まれる事が多い。この作品では内声部にイミテーションを織り込む手法が使われており、のちのFrescobaldiUccelliniFrobergerを連想させる。深淵な曲想はいかにも"モデナ的"である。

Anonyme:
Branle commun , Branle gay, Pavane, Gallarda from book of Pierre Attaingnant(c. 1494
late 1551 or 1552)
ピエール アテニャンはパリで活躍した音楽印刷者であった。
彼の出版した楽譜Quatorze Gaillardes, neuf Pavennes, sept Branles et deux Basse Dances 1531からの4曲である。作曲者は明記されていないが、イギリス・ヴァージナリストの作品であると考えられる。いくつかの曲は音域が2オクターブで収まるように書かれているため、小型のオッタビーノ(現存はしていない?)などでも演奏出来るように考えられていたのかもしれない。鍵盤音楽のテルプシコーレ舞曲、といったところだろうか。

Thomas Stollzer(c.1480~1526)  :
Ich klag den tag
トーマス シュトルツァー
ドイツの作曲家。リュート作曲家のHans Newsidlerが出版したDer ander Theil des Lautenbuchs: darin sind begriffen vil ausserlesner kunstreycher Stuck von Fantaseyen, Preambeln, Psalmen, und Muteten auff die Lauten dargeben (1536)に掲載された作品。Stollzerが没した1526年からちょうど10年後に出版されたので、Stollzerへのオマージュが込められていたのかもしれない。

Enríquez de Valderrábano (1500~1557?) :
Soneto1 and 2
エンリケス・デ・バルデラーバノ
Valderrábano
について、Waltherの音楽辞典に詳しく記載されている。ビウエラ奏者として活躍した人物だった。音楽のソネットも、詩のソネットと同じように韻を踏む。このソネットはLibro de musica de vihuela 1547年に掲載されている。

Alonso Mudarra (1510~1580) :
Gallarda
アロンソ ムダーラ
Mudarra
はギター曲を出版した最初の作曲家として知られている。Diferencias sobre el Conde Clarosなどの作品でスペイン変奏曲形式ディフェレンシアを確立した。また、速度記号を使い分けている点も注目され、このGallardaにはCompas apresuradoと書かれている。1546年出版。

Girolamo Cavazzoni (ca1525~1577?) :
Ricercare
ジローラモ カヴァッツォーニ
ウルビーノとマントヴァのオルガニストをつとめていた事と、ヴェネツィアで楽譜が2種類出版された事以外、Cavazzoniについて知られている事はほとんどない。作風はA.de.Cabezonの影響を強く感じるが、ユーモアのある自由なニュアンスは、のちのFrescobaldiを彷彿とさせる。

 


Claudio Merulo(1533~1604) :
Canzon "La Rolanda"
クラウディオ メールロ
Canzoni d'intavolatura d'organo, di Claudio Merulo da Correggio, Libro Primo. In Venetia appresso Angelo Gardano. 1592
が出典である。Angelo Gardanoは出版者で、Andrea GabrieliPalestrinaの作品も出版している。Meruloはイタリアのコレッジョで生まれた。Waltherによるとパルマのオルガニストであったそうだ。当時は権力者であったらしく、例えばGirolamo DirutaIl TransilvanoMeruloに捧げられている(A LETTORI CLAVDIO MERVLO DA CORREGGIO)。一般的にCanzonの冒頭主題は、長ー短ー短のリズムが使われることが多い。Canzonは本来、対位法作品なのだが、Meruloは対位法に厳密ではなく、どちらかというと初期ルネサンス・マドリガーレの手法で作曲している。

Anonyme :
Kyrie de Sancta Maria from Tablature de Jean de Lublin (entre 1537 et 1548)
-(Kyrie)
-Kyrie tertium
-Christe
-Kyrie ultimum
-Kyrie eleison de Sancta Maria tempore Adventus
ポーランドのクラクフで1964年に出版された"Monumenta Musica in Polonia"に記載されている作品。キリエの旋律はグレゴリオ聖歌(Kyrie IX)から取られたものである。tertium(3番目)ultimum(最後の)tempore Adventus(待降節の時)という意味である。

Anonyme :
Regina Coeli Laetare from Tablature de Jean de Lublin
-Regina Coeli
-Resurrexit sicut dixit
こちらもKyrie de Sancta Mariaと同じ出典。Regina Coeli(天の女王)Resurrexit sicut dixit(お言葉通りに復活された)の意味。


William Byrd(1543~1623) :
The Battell
-The souldiers sommons
-The Marche of footmen
-The Marche of horsemen
-The trumpetts
-The Irishe marche
-The bagpipe and the drone
-The flute and the droome
-The marche to the fighte
-The retraite
ウィリアム バード
ブリタニア音楽の父と呼ばれている。合唱「3つのミサ曲」などが有名だが、鍵盤音楽の作品も多数残されている。このThe Battellは、My ladye Nevells Booke 1591 に掲載されている。ネヴェル夫人はバードの弟子であったと推測されている。一般的にはベートーヴェンの「田園」が歴史上最初の標題音楽と説明されることが多いが、実際には16世紀には標題音楽が多数作られていた。この「戦い」は、イングランド軍とアイルランド軍の戦いを表現した作品で、様々な描写がなされている。全ての曲がハ長調で書かれていて、楽天主義に感じるが。。。

Jan Peterszoon Sweelinck(1562~1621) :
Pavane Lachrimae(after Dowland)
ヤン ピータースゾーン スウェーリンク
オランダが生んだ偉大な作曲家である。デーフェンター生まれで、旧教会でオルガニストをつとめた。即興演奏の大家で、“アムステルダムのオルフェウス”と呼ばれた。この作品はJohn Dowlandのリュート歌唱作品「Flow My Tears」に基づく変奏曲である。このDowlandの作品は当時大流行したようで、同じテーマでWilliam ByrdJacob van Eyckも変奏曲を作曲している。


 

Albert Mühlböckクラヴィコードリサイタルとレクチャー レポート

2017114 14:00~

 Clavichord recital and Lecture

 

 Dr. Albert Mühlböck

 

 

 

 

C.P.E. Bach Sonate a minorWq 49/1

Joseph Haydn Fantasy Op. 58

CPE Bach Fantasy C Major, Wq 61/6

CPE Bach Fantasy C Major, Wq 59/6

CPE Bach Sonate A Major, Wq 55/4

等であった。

 

 氏はStrum und Drangについて次の様に説明した。

Sturm und Drangという言葉はもともとFriedrich Maximilian von Klinger (1752~1831) が作った5幕の戯曲の名前だった。 1777年にライプツィヒで初演された。 これが評判を呼んだころから、 1760後半から1780初頭にかけての感情を優先する文学運動全体をSturm und Drangと呼ばれるようになった。 また、その時代の音楽も同様にSturm und Drangと呼ばれることとなった。 この時代のも最も重要な作曲家はC.P.E.Bachである。 Sturm und Drangとは英語ではstorm and urgeと訳される。 (ドイツ語のDrangも衝動であるから、言葉だけから訳すと一番近い日本語は「嵐と衝動」であろう。)  英語のurgeは駆り立てる、何かを強いるという意味だが、名詞では衝動となっている。 氏は、Drangについて、自分の思いがかなわないために生じるストレスの行きつく先としての衝動と言っているので、行き当たりばったりの衝動ではないようだ。 そのかなわぬ思いは文学、音楽共に共通するとのこと。

 演奏終了後の質問に答えて

質問;楽譜に書かれていない音を弾かれたように見受けますが。

答え;あ、そうでしたか? バロック時代からエマニュエル・バッハのころにかけては通奏低音の時代です。 従って、鍵盤の楽譜もバスのパートは通奏低音として書かれています。 従って、バスに対して和音は適宜付け加えてよい。 鍵盤用の楽譜がそのまま弾かれることは作曲者は意図していません。

 

 

 

工房楽器紹介

ヴァージナル通信  Portable virginal II

ヴァージナル通信 2016 12 15

完成し88鍵用クッション付きケースに収めたところです。 1月25日ごろまで試奏いただけます。

2017 5月

  ロンドンにあるVictoria and Albert Museum所蔵のいわゆるThe Queen Elizabeth Virginal, Giovanni Baffo, 1594, Venice, Italy.を元にほぼ同じ寸法で作った多角形ヴァージナル。響板もケースの厚みも3mmでありほとんど弦楽器の様に鳴る。

 軽いので、車での移動は容易である。

 

 

 

 

 

 

16世紀のヴァージナルにプルダウンによりペダルボードを接続しました。 
しばらく拙宅にありますので、試奏できます。 専用ベンチあり。
なお、YOUTUBEに、製作工程をアップロードしました。 (オルガンの散歩でご検索ください。)

clavichord  virginal  spinet  harpsichord

それぞれ、クラヴィコード、ヴァージナル、スピネット、チェンバロ等の紹介ページです。

チェンバロと同じ発音原理を持つ小型の楽器はヴァージナルあるいはスピネットと呼ばれます。 これらの違いをそれぞれのページで概観します。  

未来のクラヴィコード委員会

これはクラヴィコードを現代の使い方にとらわれることなく、その可能性を子供達に託くすための活動です。 18歳以下の方に、一年間クラヴィコードを貸し出し、調律や簡単なメンテナンスを覚えて頂く事が主な内容です。 調律を自分でするようになると音楽も格段に良くなります。 また、小中学生さんにとって調律は楽しいものです。 

 

週刊クラヴィコードキッズ clavichordkids 

音大生さんと話していると、ラテン語の子孫(これをロマンス諸語と呼びます。)を話す国とゲルマン語の子孫を話す国との区別が無いのに驚きます。 ロマンス諸語を話す人々はグレゴリオ聖歌を作り、ルネサンスを興し、またバロックを開花させた新奇な発想に富む人々です。 ヨーロッパ中の各国で同時発生的にいろいろな音楽が興った、という理解は大変無理があります。 互いの影響を含めて考えると理解しやすいです。 イギリスもドイツもグレゴリオ聖歌の成立、ルネサンス音楽の誕生あるいはバロック音楽の開花の直接の当事者ではありませんでした。 多くの書物が英語で書かれ、英語を通して外国の様子が入ってくる今日ですが、音楽に限らず英語を通した見方に偏らないようにしたいものです。 例えば、今日イタリアあるいはフランスでバロック芸術はどう説明されているか等、当事者だった国の言葉に耳を傾けたいものです。  

そこで、思い余って薄学ながら始めたのが週刊クラヴィコードキッズです。 

なお、ちゃんと歴史を勉強しておけばよかった、あるいは、もっと早く語学を勉強しておけばよかったという、私の反省手記でもあります。

メンテナンスのページ

Christofori jackのときのタングスプリングの調整法を追加しました。

鳥の羽の削り方を写真紹介しています。

一本の羽がプレクトラムとなるまでをご覧いただけます。